土用凪
子供が産まれた。
でも正直何が起こっているのか、まだよくわかってなくて、何だかボヤッとした頭のままでミルクをあげたりしてる。
思えば結婚したあたりからそうかもしれない。自分自身もっとぼんやり生きていくと思っていた。まぁ一人ならなんとかなるかー。
と適当にがモットーだった。
それがこの1年半で結婚して子供が産まれた。
人生を乗り物に例えるなんでダサいことはしたくないけど、初めてバイクに乗ったときの景色が後ろにすっ飛んでいくような感じ。
周りがよく見えてないと思う。ずーっと少しだけ浮揚感がある。
コロナも終え、自分のタイミングも良かったので出産に立ち会うことが出来た。
妊娠初期からずっと辛い思いをして最後もこんなに辛そうなのかとおもった。
そして立ち会った所で俺にできることはないとはっきり思った。
ただすごく痛い思いをして、子供が産まれた瞬間、奥さんは子供のことを聞くでもなく、助産師さん医師の方たちに真っ先に感謝を伝えているのを見て、とてもいい人だと思った。
父親の自覚みたいなものはさっぱりわからん。
けど赤ちゃんはとてもかわいい。息をしてるだけで褒めてあげたい。
友達の赤ちゃんと会うことはあれど、多分生後半年とかが一番早い気がする。生後一週間はすごい。本当に赤ちゃん。生命としての薄弱さと強さが同時にある。
自分の子供であっても決して分身などではなく、他者なんだと強く思う。何を考えているかもさっぱりわからん。おそらく一生そうであろう。そのことを忘れないようにしようと思う。
それに比べてがんもは兄の自覚が芽生えてるように思う。あいつが一番しっかりしてる。
名前は 凪 なぎ になりました。あんまり思いを込めたりもしたくないなぁとも思いながら、
屈斜路湖から連想したのもあるし、こんなに苦しい世の中、凪の人生を送って欲しいと思う。
顔はどっちに似てるのか。親の見立てでは灰汁のないスッキリした顔をしてるような気がする。
皆会いに来て。
当分人生の景色はすっ飛んでそう。。またゆったりとした景色に戻るその日まで。