しまんとライナー
約一ヶ月の八重山暮らしを終えて、現在高知県中村に向かう深夜バスの中に
ただ周りの色んな旅人の先輩や島の方々に良くしてもらいました。
中でもずっと石垣で拠点にしてたえみっくすのヘルパーの二人にはお世話になりっぱなしです。
ワイルド溢れるサーファーのおじさんや、製糖工場でお金を稼いでまた世界に飛んでくお兄さん。
来週から社会人復帰の日本一周チャリダー
宿の人ではなく、一人の人として会うのはやっぱり違うなぁ。
色んな生き方を垣間見て、とても刺激的でした。
幸か不幸か、俺も来年から半年働いて半年は謎っていう状況になりそうなので、海外も考えながら一ヶ所長期滞在型旅人を目指すのもありかなと。
何て言うアホなことをして立ち行かなくなった時のためにも明日から大型免許を取るのです。
そんな保険を掛けてしまうのが俺の心の曖昧さなのだろう。
乱文
この夏。
宿を始めた頃に、沈没してくれた奴等が二人来た。
当時出来たばかりの訳のわからん状態の宿になんで来てくれた。なんでそんなにいてくれたのかは今でもわからないけど。
あれから三年がたって環境は大分変わった。
二人も働いている。
俺だけが三年前と変わらずにふわふわと生きてるような気がする。
三年前と何が変わったのだろうか。
宿は当時思い描いて宿とは大分遠いところに来たけど、それで良いんだと思う。
超低空飛行にはかわりないけど落ちない程度には飛べるようになってきた。
北海道に来てもうすぐ丸四年。
自分の好きな物、嫌いなものがはっきりわかる暮らしをしてる。
毎年何百人とはじめましてをしてる。
人と話すのは好きだけど、根が陰気なもんで人に会いたくなくなるときが来る。
お盆を越えると毎年体調を崩すのもその一つだろうか。
宿は「全て自分の中で完結するように」という、地域おこし協力隊だったとは思えない。後ぐされのない形でここまで来たつもりでいる。
勿論いろんな人にお世話になりまくっているのだが。
嫌なことやりたくないことを遠ざける事が可能になっている今。
やりたくないことをやらないで良いのは意外にとっても不健全なんじゃないかとも思ったり。
だからこそ冬はどっかに行ってゆったり働こうかなとか考える。
日本一周の時に衝撃を受けた働かない不思議な大人に確実に近づいている自分がいる。
こんなことを書いてるからお客さんに「ブログ読んで気むずかしい人だと思ってました」って言われるんだろう。
ライダーハウス
蜂の宿というライダーハウスが突如閉鎖しました。
http://hatinoyado.hatenablog.jp/entry/2019/06/10/175847
長年「ライダーハウス」という文化の中心にいた場所だと思う。
経緯はこうである。
私自身ライダーハウスを始める前から参考にしていた宿でもあるし、蜂の宿に泊まったお客さんも多く来てくれてるので、話を聞く機会も多かった。
突然の閉鎖は単純に悲しいがマスターの決断力は尊敬する。
時間はかかってもまた再開の日を楽しみにしてます。
ここからは個人的な話とつまんない話なので予め。
法律を守るのは当然だと思います。
— サダヲ@宿とかしてる人 (@Sdwo46) 2019年6月11日
ただ今まで何十年もグレーゾーンで放置されていたのを何事もなかったようにどうこうするのは個人的に気にくわないですが笑
まぁ個人的な感想はとりあえずこれです。
仕方ないのは理解してるけど納得は出来ない。
正直もっと潰れるべき所はあるし。
難しいですね。いろいろ。うちだってライダーハウスやってるつもりだけど現状ゲストハウスによってってるし、蜂の宿みたいに強烈な個性があるわけでもない。
箱も小さいしね。
今の教員住宅で宿を始めたのは、隣の廃校になった小学校の利活用ありきの部分があったんだけど簡単に言えば小学校の利活用はなにも起きずに終わりそうです。
飲食店も、ツアーの事務所機能もやろうと思えばやりようはあったはずなのにね。
恨みが有るわけではないけども、梯子を外された感は正直あるなぁ。
元々蜘蛛の糸みたいな梯子だったのは承知の上だけど。
地域おこし協力隊として弟子屈に来た経緯もあり場所は選べなかった。だからこそ蜘蛛の糸みたいなものを信じたのだろうな。
まぁ協力隊でなければ宿の開業はできなかったのだろうけど。
こんなことなら無理矢理にでも学校で宿を始めたかったと思う。
今からではどうにもならないことなんだろうけど。
小学校どうなるんだろうなあ。
売りに出されて金額しだいだろうけどもしかしたら買えるように一生懸命働こう。
このまま何の補修もせずに建物が痛んでいくだけなのは寂しすぎる。